老監督ウイリアムス伝 目次
日本基督教の黎明
老監督ウイリアムス伝
目次
序
監督の肖像
第壹編 監督の家庭と敎育
一、家庭
二、母の感化
三、雜貨店の番頭
四、敎育
第貳編 支那傳道
一、上海來任
二、支那語研究
三、巡回傳道
四、巡回傳道日誌
五、常熟傳道開始
第參編 日本傳道の紀元( 上)
一、開國の曙光
二、ペルリの來航
三、神奈川條約
四、タウセントハリス渡來
五、日米條約議定
六、米艦一仕官の書信
七、監督ブーン師日本傳道の急務を訴ふ
第四編 日本傳道の紀元( 中)
一、日米條約調印
二、タウセント、ハリス
三、我國最初の新敎公禮拜式
四、タウセント、ハリスの書簡
第五編 日本傳道の紀元( 下)
一、日本傳道に對する興味
二、米國聖公會傳道局總會の決議
三、總會決議の反響
四、任命當時のリギンス氏ウィリアムス氏
第六編 長崎時代( 上)
一、ウィリアムス師の來任
二、當時我國の状態
三、德川幕府の敎徒迫害
四、禁敎の法令
五、日本に來る宣敎師の資格
六、傳道の困難
七、日本語の研究と翻譯
八、來訪者
九、傳道の方針
第七編 長崎時代( 中)
一、政治上の状態
二、同勞者リギンズ氏
三、宣敎醫師シュミット氏
四、女敎師カノヴァー孃
五、最初の新敎敎會堂
六、聖公會第一の受洗者
第八編 長崎時代( 下)
一、米國聖公會總會の決議
二、師の歸米
三、監督聖別式
四、滯米中の監督
五、支那に歸任
六、日本傳道
七、熱切なる要求
第九編 大阪時代
一、大阪傳道開始
二、維新政府の敎徒迫害
三、邪宗門禁制の撤去
四、基督敎解禁と監督の盡力
五、日本專任監督
第十編 東京時代
一、傳道事業の発展
寫眞一 東京時代
寫眞二 東京時代
二、監督在職中の宣敎師
三、東京傳道
四、地方巡回と按手式
五、監督と敎育
六、日本聖公會の組織
七、日本聖公會第一總會
八、信敎の自由
九、監督の退職
第十一編 京都時代
一、京都地方に於ける活動
寫眞三 京都時代
寫眞四 京都時代
二、老衰
三、歸國休養
四、聖約翰敎會建設
寫眞五 京都聖約翰敎會堂
五、博士ロイド氏日本傳道視察談の一節
六、最後の巡回
七、日本聖公會第九回總會の決議
八、五十年の回顧
九、米國聖公會監督會議の決議
十、最後の歸國
十一、歸國の理由
第十二編 歸國後の監督
一、橫濱出帆後及航海中の監督
二、ハリソン氏邸に於ける監督
三、ジヨストンウイリス醫院に入院
四、監督の永眠
五、葬儀
第十三編 監督の人格
一、監督の品性
二、監督の生活
三、監督の衣服
四、監督の食事
五、監督の住宅
六、監督の節儉
七、獻金と救恤
八、傳道者たる監督
九、勤勉精勵
十、説敎
十一、祈祷の人
十二、温和厚情
十三、忍耐寬容
十四、勇敢剛毅
十五、嚴正謹直
十六、威風温容
十七、諧謔滑稽
十八、雀を養ふ
十九、寫眞と肖像畫
第十四編 監督の記録と著述
一、日本及日本語の研究
二、翻譯
寫眞六 敎會歴史問答原稿
三、著述
第十五編 紀念
一、紀念禮拜
寫眞七 追慕碑
寫眞八 追慕碑面拓本
二、監督ウイリアムス師奬學金
三、故監督追墓碑並に傳記出版
四、獻碑式
五、傳記出版
付録一
信徒の義務
付録二
編制
法規
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序