第四編 日本傳道の紀元(中)

第四編 日本傳道の紀元(中)

一、日米條約調印  

 安政(あんせい)(ねん)幕府(ばくふ)全權(ぜんけん)は、ハリスと條約(でうやく)議了(ぎれう)したる(とき)に、(この)條約(でうやく)(よく)(ねん)(ぐわつ)五日(いつか)(もつ)て、双方(さうはう)全權(ぜんけん)記名調印(きめいてういん)し、批准(ひじゆん)米國(べいこく)にて交換(かうくわん)すべしと(やく)したるが、該條約(がいでうやく)議了(ぎれう)せらるゝや親藩(しんはん)諸侯(しよかう)反對(はんたい)意見(いけん)(いだ)き、抗議紛々(かうぎふんふん)たりしかば、幕閣(ばくかく)は、所詮之(しょせんこれ)朝廷(てうてい)奏上(そうじやう)し、勅許(ちよくきよ)()(これ)(れい)するに(あら)ざるよりは、(もつ)全國(ぜんこく)士民(しみん)をして開國(かいこく)(せい)遵奉(じゆんほう)せしむること(あた)はずと覺知(かくち)し、安政(あんせい)(ねん)十二(ぐわつ)目付(めつけ)津田近江守(つだあふみのかみ)林大學頭(はやしだいがくのかみ)京都(きやうと)(つかは)し、條約勅許(でうやくちよくきよ)()はしめた。
(しか)るに京都(きやうと)(おい)ては、勤王論(きんわうろん)激勵(げきれい)幕府(ばくふ)無能(むのう)とに(じやう)じて、公卿浪士等(くげらうしら)禁裏(きんり)圍繞(ゐげう)せる各階級(かくかいきふ)(ひと)は、後醍醐帝(ごだいごてい)(むかし)(ゆめ)武家政權(ぶけせいけん)回收(くわいしう)(こゝろ)(くだ)けることとて、(ひとひ)幕府(ばくふ)窮境(きゆうきやう)()はんことを(つと)めた。こゝを(もつ)林津田兩使者(はやしつだりやうししや)要領(えうりやう)()ずして歸東(きとう)した。
()かりしかは堀田閣老(ほつたかくらう)は、川路左衛門尉(かはざさゑもんのすけ)岩瀬肥後守(いはせひごのかみ)其他(そのた)幕吏(ばくり)(したが)へて、安政(あんせい)(ねん)(ぐわつ)西上(せいじやう)し、公卿(くげ)(くわい)し百方陳辯(ぱうちんべん)したれども、三家以下列藩(けいかれつはん)公議(こうぎ)()つて具奏(ぐそう)すべきの朝命(てうめい)(せつ)し、(おな)じく其要領(そのえうりやう)()ずして歸府(きふ)した。(しか)るにハリスは(やく)(ふん)て三(ぐわつ)()江戸(えど)(きた)りたれば、幕閣(ばくかく)勅許(ちよくきよ)なきが(ため)調印(てういん)場合(ばあひ)(いた)らず、堀田閣老歸府(ほつたかくらうきふ)まで相待(あひま)たれよとて()(おく)りし(うち)に、堀田閣老(ほつたかくらう)は四(ぐわつ)二十()歸府(きふ)し、ハリスに應接(おうせつ)し、條約調印(でうやくてういん)()人心不成合(じんしんふをりあひ)なれば調印延期(てういんえんき)ありたしと(のぞ)み、()ち五(ぐわつ)()(いた)り、閣老連署(かくらうれんしよ)(しょ)(もつ)て、愈々(いよいよ)(ぐわつ)廿七(にち)には相違(さうゐ)なく調印(てういん)すべしと(やく)し、期日(きじつ)延期(えんき)した。
 此間(このあひだ)條約調印(でうやくてういん)(こと)相關聯(あひくわんれん)して、偶々(たまたま)將軍家繼嗣問題(しやうぐんけけしもんだい)(おこ)つた。閣老堀田(かくらうほつた)は、京都(きやうと)(おい)外交(ぐわいかう)(けん)(おい)失敗(しつぱい)(をは)りたるが、朝議(てうぎ)外交拒絶(ぐわいかうきよぜつ)()づるもの(けつ)して其眞相(そのしんさう)にあらざるを(さと)り、こゝに公武(こうぶ)融和(ゆうわ)(はか)らざれば、(つひ)其如何(そのいか)なる施設(しせつ)をも(これ)()()ざるを看破(かんぱ)し、一橋世子(ひとつはしせいし)朝野共(てうやとも)(これ)衆望(しゆうぼう)(かたむ)くるものあるを()(これ)によつて公武(こうぶ)乖離(くわいり)(ふせ)ぎ、諸侯(しよかう)(のぞみ)(つな)がんとし、(あらた)にこの(こと)(ため)(ちから)(つく)すに(いた)つた。
かくて(つひ)西域(せいゐき)(こと)英俊人望年長(えいしゆんじんばうねんちやう)の三(げん)(もつ)撰定(せんてい)すべきの内勅(ないちよく)(つた)はり、一橋世子(ひとつはしせいし)(こと)は一たび(けつ)するを()たるも、井伊直弼(ゐいなほすけ)(おもむ)ろに天下(てんか)形勢(けいせい)(くわん)じ、一橋世子派(ひとつはしせいしは)()(かなら)ずしも其表面(そのへうめん)にあらはるゝ所以(ゆゑん)のみに(とゞま)らざるを()り、奮然起(ふんぜんたつ)紀州世子派(きしうせいしは)(ちから)()へ、安政(あんせい)(ねん)(ぐわつ)廿五(にち)()つて大老(たいらう)となるに(およ)び、堀田等(ほつたら)計畫(けいくわく)(まつた)畫餅(ぐわへい)()し、(もつ)政界(せいかい)(さら)其形勢(そのけいせい)を一轉歩(てんほ)すべく(すゝ)んだ。
 この(とき)(あた)英佛聯合艦隊(えいふつれんがふかんたい)淸国(しんこく)(たゝか)ひ、北京城下(ぺきんじやうか)(よかひ)をなさしめたる餘威(よゐ)(もつ)て、(いま)(まさ)我國(わがくに)(きた)り、ハリスと議定(ぎてい)したる(ところ)よりも、(はる)かに其上(そのうへ)強請(がうせい)すべしと(きこ)えたれば、事急(こときふ)にして(ふたゝ)京都(きやうと)交渉(かうせう)(かさ)ぬるの(かう)なきを()井伊大老(ゐいたいらう)決然斷(けつぜんだん)じて(いは)く、今日(こんにち)(さく)たる我早(われはや)米國(べいこく)條約(でうやく)調印(てういん)して、其條欵(そのでうくわん)(かぎ)(もつ)(かれ)(おう)ずるあるのみ、幕府(ばくふ)専斷(せんだん)する(ところ)により、勅許(ちよくきよ)()たざる(つみ)()ば、直弼(なほすけ)(すなは)ち一(しん)(もつ)(これ)(あた)らんと、(つひ)大英斷(だいえいだん)(もつ)條約調印(でうやくてういん)(けつ)し、下田奉行井上信濃守(しもだぶぎようゐのうへしなののかみ)目付岩瀬肥後守(めつけいはせひごのかみ)(つかは)し、神奈川沖(かながはおき)繋泊(けいはく)せる米國軍艦上(べいこくぐんかんじやう)(おい)てハリスに會見(くわいけん)即時(そくじ)日米條約調印(にちべいでうやくてういん)(おこな)はしめた。
(とき)安政(あんせい)(ねん)(ぐわつ)十九(にち)であった。

二、タウセント、ハリス  

 タウセント、ハリスは、安政(あんせい)(ねん)(ぐわつ)米國總領事兼全權公使(べいこくそうりやうじけんぜんけんこうし)として、我國(わがくに)渡來(とらい)したる以來(いらい)幾多(いくた)危險(きけん)(をか)困難(こんなん)(しの)び、外交不慣熟(ぐわいかうふくわんじゆく)幕府(ばくふ)開發誘導(かいはついうだう)するに、毎事機會(まいじきくわい)(とら)へて(うしな)はなかつたが、(こゝ)(やうや)日米條約調印(にちべいでうやくてういん)(れう)するに(いた)つた。(かれ)自國(じこく)(ため)(はか)り、(とき)虚喝(きよかつ)(まじ)へたる(こと)もあれど、(うち)満腔(まんこう)懇情(こんじやう)(いう)し、終始(しうし)(われ)(たい)して好意(かうい)(へう)した。
(かれ)幕府(ばくふ)官吏(くわんり)懇説(こんぜい)して、開國貿易(かいこくぼうえき)利益(りえき)(さと)らしめ、幕府(ばくふ)(もつと)親善(しんぜん)なる味方(みかた)として、(つね)最高顧問(さいかうこもん)となり、條約文案(でうやくぶんあん)(ごと)(ことごと)(かれ)()()れりといふ。(かれ)亞片禁止(あへんきんし)必要(ひつえう)(しめ)して、我國(わがくに)をして(なが)(この)禍害(くわがい)(まぬが)れしめ、兇徒(きやうと)米國公使館書記(べいこくこうしくわんしよき)ヒユースケンを襲殺(しゆうさつ)するや、外國公使等(ぐわいこくこうしら)激怒(げきど)して、外人身命保護不行届(ぐわいじんしんめいほごふゆきとゞき)詰責(きつせき)せんと提議(ていぎ)したるも、(かれ)()内情(ないじやう)困難(こんなん)同情(どうじやう)し、幕府(ばくふ)誠意(せいい)(りやう)して(これ)不問(ふもん)()し、他國公使(たこくこうし)國旗(こくき)(てつ)して横濱(よこはま)()りしときも、(かれ)(ひと)江戸(えど)(とゞま)(うご)かざりし(ごと)き、吾人(ごじん)()開國(かいこく)初期(しよき)内訌外難(ないかうぐわいなん)(とき)(あた)り、(かれ)(われ)(あた)へし誠意(せいい)助力(じよりよく)(とく)記憶(きおく)せねばならぬ。
(かれ)敏腕(びんわん)なる外交官(ぐわいかうくわん)にして、気品高(きひんたけ)紳士(しんし)であつた、(しか)してまた忠實(ちうじつ)なる敎會員(けうくわいゐん)であった。(かれ)我國在留中(わがくにざいりうちう)主日(しゆじつ)嚴守(げんしゆ)した。或年(あるとし)正月(しやうぐわつ)將軍家(しやうぐんけ)より、紀州産(きしうさん)蜜柑(みかん)()れたる大籠(おほかご)(たまは)りたるが、其日(そのひ)日曜日(にちようび)なればとて(これ)()けず、翌月曜日(よくげつようび)受取(うけと)りたりといふ。(かれ)其日(そのひ)日記(につき)(いは)く、「()日曜日(にちようび)(おもん)ずるの(おごそ)かなる規則(きそく)は、タイクーン(將軍家(しやうぐんけ))の(ため)にも改變(かいへん)すべからざる(もの)なるを、日本人(にほんじん)(しめ)したるを(よろこ)ぶ」と。
(かれ)はまた毎主日(まいしゆじつ)には(かな)正格(せいかく)に、米國聖公會祈禱書(べいこくせいこうくわいきたうしよ)()りて禮拝(れいはい)(さゝ)げた。(かれ)日記(につき)(しよ)して(いは)く、「(おも)ふに日本(にほん)(おい)て、上帝(じやうてい)祈禱(きたう)(さゝ)ぐるため、此書(このしよ)使用(しよう)したるものは、()(もつ)嚆矢(かうし)となすを()んか。此後(このご)聖別(せいべつ)したる日本(にほん)()ける敎會(けうくわい)(おい)て、同一(どういち)なる祈禱書(きたうしよ)(もつ)祈禱(きたう)(さゝ)ぐる()は、幾年(いくねん)(のち)(きた)るべき()」と。
(しか)して(かれ)(つね)機會(きくわい)(うかゞ)ひ、幕府(ばくふ)をして切支丹禁制(きりしたんきんせい)法令(ほふれい)撤去(てつきよ)せしめ、信敎(しんけう)自由(じいう)許諾(きよたく)せしめんと(つと)めた。

三、我國最初の新敎公禮拜式  

 (すで)日米和親通商條約調印(にちべいわしんつうしやうでうやくてういん)(れう)し、極東帝國(きょくとうていこく)をして開國(かいこく)に一轉歩(てんほ)(すゝ)ましめ、故國(ここく)大使命(たいしめい)(まつた)ふしたる(かれ)は、(こゝ)(いた)つて既往(きわう)(かへり)みて感慨無量(かんがいむりやう)感謝(かんしや)(ねん)(しき)りに(もよほ)されたであらう。(むべ)なる(かな)(かれ)は、條約調印後(でうやくてういんご)(ぐわつ)(じつ)日曜日(にちえうび)下田港(しもだかう)碇泊(ていはく)せる米艦(べいかん)ポウハタン、ミシシッピ兩艦(りやうかん)士官水兵(しくわんすゐへい)召集(せうしう)して、嚴肅(げんしゆく)なる禮拜式(れいはいしき)擧行(きよかう)した。()(じつ)我國(わがくに)()ける最初(さいしよ)新敎公禮拜式(しんけうこうれいはいしき)にして、日本傳道史上(にほんでんだうしじやう)特筆(とくひつ)すべきものである。(この)禮拜式(れいはいしき)(れつ)したる米國海軍將官(べいこくかいぐんしやうくわん)は、當時(たうじ)光景(くわうけい)(およ)感想(かんさう)(しる)して、()(ごと)(ほう)じた。

『八(ぐわつ)(じつ)日曜日(にちえうび)は、ポウハタン(およ)びミシシッピ兩艦(りやうかん)士官(しくわん)水兵(すゐへい)()りて、(わす)()からざる()(そろ)(この)兩艦(りやうかん)は一兩日前(りやうじつぜん)江戸灣(えどわん)より歸來(きらい)し、目下(もくか)江戸(えど)()(やく)七十(まいる)なる下田(しもだ)心地(こゝち)よき(みなと)碇泊(ていはく)いたし居候(をりそろ)下田(しもだ)人口(人口)(まん)もあらんかと()ゆる(まち)にて、町外(まちはづ)れに總領事(そうりやうじ)タウセント、ハリス閣下(かくか)の、亞米利加合衆國々旗(アメリカがつしゆうこくこくき)(たか)空中(くうちう)翩々(へんへん)として(ひるがへ)()(そろ)日本(にほん)()(かつ)()てられざりし(この)國旗(こくき)()後方(こうほう)に、ハリス閣下(かくか)御住家(ごぢゆうか)あり、閣下(かくか)御住家(ごぢゆうか)佛敎(ぶつけう)殿堂(でんだう)にして、閣下(かくか)御住居(ごぢゆうきよ)適用(てきよう)すべく、堂内(だうない)醜惡(みにく)佛像(ぶつぞう)悉皆(しつかい)取除(とりのぞ)かれ(そろ)(しかし)ながら其等(それら)佛像(ぶつぞう)は、(あたか)()()れし殿堂(でんだう)人手(ひとて)(わた)すを(はなはだし)(いと)ふものゝ(ごと)く、()周圍(しうゐ)(かべ)()ふて排列(はいれつ)せられ、彼等(かれら)堂内(だうない)より逐出(おひだ)して彼處(かしこ)()き、かくも其神聖(そのしんせい)(けが)したる者等(ものども)を、(おそろ)しくも逆鱗(ぎやくりん)ましまして、(にら)まへ()(そろ)。ハリス閣下(かくか)(しづ)かに虚誇(きよご)なく談判(だんぱん)したる條約(でうやく)は、二(にん)幕府(ばくふ)全權(ぜんけん)(きた)りて、()代將軍(コンモトア)(まへ)にて記名調印(きめいてういん)し、()艦上(かんじやう)(おい)首尾能(しゆびよ)決了(けつれう)いたし(そろ)。かくて日本(にほん)()ける基督敎信仰自由(きりすとけうしんかうじいう)(ため)に、(あらかじ)(はか)るに(いた)(そろ)(これ)何人(なにびと)()りても感謝(かんしや)すべき(こと)にて、(とく)にハリス閣下(かくか)(ごと)基督敎徒(きりすとけうと)()りては、感謝(かんしや)せざるべからざる(こと)(そろ)。されば閣下(かくか)御自身(ごじしん)(いへ)にて、米國々旗(べいこくこくき)(もと)に、(ほとん)ど二世紀半以前(せいきはんいぜん)、十(まん)基督敎徒殉死者(きりすとけうとじゆんししや)(てん)(のぼ)らしめたる迫害(はくがい)火焰(くわえん)()へし(のち)、こゝに(だい)一の基督敎禮拜式(きりすとけうれいはいしき)執行(しつかう)すべく願望致(ぐわんもういた)され(そろ)我等(われら)(かつ)(すくな)くも十(まん)人口(じんこう)(いう)する長崎(ながさき)()りしが、該市(がいし)には敎會病院(けうくわいびやうゐん)大學校(だいがくかう)數個(すうこ)神學院(しんがくゐん)もあり、(その)の一は貴族(きぞく)子弟(してい)聖職(せいしよく)敎育(けういく)する(ため)神學院(しんがくゐん)にてありし(よし)基督敎(きりすとけう)は一()はかくも日本(にほん)(おい)て、隆々(りうりう)(いきほひ)(きは)(そろ)(むかし)長崎市(ながさきし)のみにても、四(まん)敎徒(けうと)ありし(よし)(そろ)小官(せうくわん)は、迫害(はくがい)歴史家(れきしか)殉敎者(じゅんけうしや)(やま)(しょう)せし刑場(けいじやう)聖地(せいち)をも發見致(はつけんいたし)申候(まをしそろ)()其後(そのご)千七百年頃(ねんごろ)最後(さいご)(のこ)れる敎徒(けうと)幽閉(ゆうへい)せられ、慘刑酷罰(ざんけいこくばつ)(くは)へられたる(ふる)牢獄(ろうごく)も、今猶(いまな)舊跡(きうせき)(とゞ)()(そろ)小官(せうくわん)不幸(ふかう)にして其跡(そのあと)()(これ)調査(てうさ)し、(かつ)其處(そこ)(おこな)はれたる悽慘(せいさん)なる光景(くわうけい)其怖(そのおそ)ろしき記憶(きおく)により一層物悽(そうものすご)からしむる光景(くわうけい)(のぞ)んで、瞑想沈思(めいそうちんし)()ざりしは(はなは)遺憾(ゐかん)(そふら)ひき。長崎(ながさき)()(とほ)からぬ島原(しまばら)(まち)には、(かつ)堅固(けんご)なる城廓(じやうくわく)あり、此處(こゝ)迫害(はくがい)(ため)()()地無(ちな)く、諸國諸所(しよこくしよしよ)より集合(しうがふ)したる敎徒(けうと)(まん)七千(にん)有之候(これありそふら)ひしが、一(にん)(のこ)らず(ことごと)()(ほろ)ぼされ申候(まをしそろ)最後(さいご)殉敎者(じゅんけうしや)が、迫害(はくがい)火焰(くわえん)(うち)(てん)(かへ)候以來(そろいらい)(いま)幾星霜(いくせいさう)()たれども、(すべ)是等(これら)光景(くわうけい)我等(われら)記憶(きおく)にあり、(ほと)んど我等(われら)眼前(がんぜん)其状(そのじやう)(てい)(そろ)巡禮者(じゆんれいしや)がプリマスロツクに上陸(じやうりく)したる(ころ)(この)戰慄(せんりつ)すべき迫害(はくがい)此處(こゝ)(おこな)はれて、基督敎(きりすとけう)盡滅(じんめつ)いたし(そろ)同時(どうじ)彼處(かしこ)には基督敎(きりすとけう)移植(いしよく)せられ、爾來(じらい)我國(わがくに)文明(ぶんめい)(ゐき)(すゝ)み、(とみ)(ちから)名聲(めいせい)宗敎(しうけう)愈々(いよいよ)發達(はつたつ)(いた)(そろ)(しか)るに爾來(じらい)長時代(ちやうじだい)(あひだ)、三四千(まん)住民(ぢゆうみん)(いう)する日本(にほん)には、一()基督敎再興(きりすとけうさいこう)盡力(じんりよく)せられたることなく、(たれ)(にん)此地(このち)(すゝ)んで傳道(でんだう)(こゝろ)みし(もの)もなく、一の傳道會社(でんだうくわいしや)宣敎師(せんけうし)派遣(はけん)せしこと無之候(これなくそろ)(しか)るに()なるかな、我等(われら)米國民(べいこくみん)(いま)こゝに、基督敎(きりすとけう)()(やいば)(もつ)撲滅(ぼくめつ)せられし以來(いらい)最初(さいしよ)基督敎禮拜式(きりすとけうれいはいしき)時機到來(じきたうらい)劈頭第(へきとうだい)一の新敎禮拜式(しんけうれいはいしき)偶像(ぐうざう)殿堂(でんどう)(おい)擧行(きよかう)するに(いた)りしとは!
 聖書(せいしよ)朗讀(らうどく)せられ、祈禱(きたう)(さゝ)げられ、説敎(せつけう)()(つた)へられ、(しか)してシオンの讃美歌(さんびか)(うつく)しく(きよ)(うた)はれ(そろ)(この)讃美歌(さんびか)は、(いづ)れも(みな)(おさな)(とき)より(うた)()れたるものに(そろ)が、日本(にほん)(おい)最初(はじめ)(うた)はれ、餘音(よゐん)嫋々(でうでう)(この)(ふる)殿堂(でんだう)(ひゞ)(わた)候時(そろとき)ほど、(うつく)しくまた感興(かんきやう)(ふか)きことは無之候(これなくそろ)此日(このひ)太陽(たいやう)赫灼(くわくしやく)として(かゞや)き、萬籟寂(ばんらいせき)として(こゑ)なく、(いと)物静(ものしづ)かなる()(さふら)ひき。日本人(にほんじん)大刀小劒(だいたうせうけん)(たばさ)みて、我等(われら)(もと)()()(きた)らず、靜穩(せいをん)にうやうやしく、興味(きやうみ)あり()に、(この)(めづ)らしき光景(くわうけい)傍觀(はうくわん)いたし()(そろ)。あゝ()はそも(ゆめ)にてありしか、幻影(まぼろし)にてありしか、そもまた現實(げんじつ)にてありしか、()現實(げんじつ)ならば、(こゝ)(いた)らしめたるものは、(なに)ものに(そろ)ぞや。禮拝(れいはい)(をは)會衆(くわいしゆう)(いづ)れも()沈黙(ちんもく)に、()かも(ふか)感慨(かんがい)()ちつゝ退艦(たいかん)(いた)申候(まをしそろ)。』

四、タウセント、ハリスの書簡  

 米國海軍將官(べいこくかいぐんしやうくわん)は、()日本最初(にほんさいしよ)新敎禮拜式(しんけうれいはいしき)光景(くわうけい)(およ)感想(かんそう)(しる)したる(のち)(さら)米國政府(べいこくせいふ)がハリスに(あた)へたる訓令(くんれい)()いて(かた)つた。(かれ)其日(そのひ)ハリスに(まね)かれ、事務室書齋圖書室(じむしつしよさいとしよしつ)(かね)たる一(しつ)(いた)りしに、ハリスは一見重要(けんぢゆうえう)なる文書(ぶんしよ)(おぼ)しき書類(しよるゐ)()(きた)り、(その)部分(ぶぶん)()(きか)せられたるが、そは國務卿(こくむきやう)マーレー閣下(かくか)より(あた)へられたる訓令書(くんれいしよ)なる(こと)明白(めいはく)なりといひ、該文書(がいぶんしよ)(おい)て、國務卿(こくむきやう)マーレー閣下(かくか)は、(あら)ゆる賢明(けんめい)なる方略(はうりやく)仁慈(じんじ)(ちから)(もつ)て、日本(にほん)()ける基督敎信仰(きりすとけうしんかう)の十(ぜん)なる自由(じいう)(およ)布敎(ふけう)目的(もくてき)(もつ)(きた)宣敎師(せんけうし)其他(そのた)人々(ひとびと)(たい)する保護(ほご)()(ため)に、最善(さいぜん)(つく)すべしと、ハリスに訓令(くんれい)せられたりと(しる)した。
 タウセント、ハリス()が、幕府(ばくふ)をして基督敎禁制(きりすとけうきんせい)撤廢(てつぱい)せしむべく、熱誠(ねつせい)なる辯明忠告(べんめいちゆうこく)は、如何(いか)なる程度(ていど)まで貫徹(くわんてつ)したるかは(つまびら)かでない。(おも)ふに、當時(たうじ)幕府(ばくふ)偏見(へんけん)頑迷(ぐわんめい)には、()熱誠(ねつせい)なる盡力(じんりよく)(もつ)ても、打克(うちか)つことができなかつたが、それとも()國情(こくじやう)(さつ)し、幕府(ばくふ)窮境(きうきやう)同情(どうじやう)し、現状(げんじやう)(おい)基督敎(きりすとけう)解禁(かいきん)強迫(きやうはく)するは尚早(なほはや)しと(みと)め、やがて(かなら)其時機(そのじき)(きた)るべきを()し、(おもむ)ろに幕府(ばくふ)誘導勸諭(いうだうくわんゆ)するに(つと)めたのであらう。()(かゝ)ぐるものは、()上海(シヤンハイ)友人(いうじん)米國聖公會宣敎師(べいこくせいこうくわいせんけうし))に(おく)られたる書簡(しよかん)である。()鋭眼(えいがん)なる觀察(くわんさつ)のほどを()るべく、また(もつ)(いさゝ)(この)問題(もんだい)(くわん)する消息(せうそく)(うかゞ)ふに()るであらう。

拜復(はいふく)御尋(おんたづ)ねの(おもむき)は、拙者(せつしや)(ちから)(およ)(かぎ)御答(おこた)可申上候得共(まおしあぐべくそらへども)小生(せうせい)所見(しよけん)(あるひ)(あやま)れるもの有之(これあり)やも難計(はかりがたく)此儀(このぎ)(あらかじ)御承知被下度候(ごしやうちくだされたくそろ)(そもそ)日本人(にほんじん)(もつと)些細(ささい)なることにても、隠匿(いんとく)するの奇習(きしふ)ありて、そは二千年以來(ねんいらい)風習(ふうしふ)有之(これあり)且又(かつまた)小生(せうせい)彼等(かれら)(だん)するには、一々通譯者(つうやくしや)(たす)けを()るの不便(ふべん)(いう)(そろ)(つき)小生(せうせい)觀察(くわんさつ)(おそら)くは正鵠(せいかう)()ざる(ところ)あるべく、此邊(このへん)事情(じじやう)(とく)御洞察(ごどうさつ)願上候(ねがひあげそろ)以上(いじやう)御斷(おことはり)(もつ)御答申上候(おこたへまをしあげそろ)(つき)宜敷(よろしく)充分(じゆうぶん)御斟酌(ごしんしやく)あらんことを希望仕候(きばうつかまつりそろ)

貴問第(きもんだい)一、日本政府(にほんせいふ)をして、外國(ぐわいこく)(たい)する政策(せいさく)(へん)ぜしめたる原因(げんいん)(なん)そや。

(こたへ)此點(このてん)(つい)ては、詳細(しやうさい)御答申上(おこたへまをしあ)げんと(ほつ)せば、(いきほ)目下(もくか)大統領(だいとうれう)手中(しゆちゆう)にある事件(じけん)(おほやけ)にせざるを()ず。(しか)してこは大統領(だいとうれう)許可(きよか)なくては發表(はつぺう)(がた)次第(しだい)(そろ)

貴問第(きもんだい)二、日本(にほん)外國(ぐわいこく)との現今(げんこん)友義的關係(いうぎてきくわんけい)は、永續(えいぞく)すべきものなりや(いな)や。

(こたへ)日本人(にほんじん)小心翼々(せうしんよくよく)として、條約上(でうやくじやう)義務(ぎむ)(まも)るべく(そろ)(しか)して()現今(げんこん)交諠(かうぎ)にして(やぶ)ることありとせば、そは外國人(ぐわいこくじん)干犯(かんはん)より(せう)ずべく、日本政府(にほんせいふ)背信(はいしん)より(せう)ずることは(まん)なかるべく(そろ)

貴問第(きもんだい)三、政治上(せいぢじやう)(おい)(すで)(あら)はれたると、同一(どういつ)行爲(かうゐ)宗敎上(しうけうじやう)變化(へんくわ)(おい)ても、(ひと)しく豫期(よき)()べきや(いな)や。

(こたへ)日本人(にほんじん)從來(じゆうらい)基督敎(きりすとけう)(もつ)て、侵略(しんりやく)(およ)政府顚覆(せいふてんぷく)思想(しさう)密接(みつせつ)關係(くわんけい)あるものと見做(みな)居候(をりそろ)人民(じんみん)としては彼等(かれら)何等(なんら)排異敎的感情(はひいけうてきかんじやう)(いう)せずと(いふ)()べく、(しか)して國内(こくない)()ける彼等(かれら)の三大宗教(だいしうけう)は、全人民(ぜんじんみん)(ひと)しく(とも)維持(ゐぢ)(いた)()(やう)相見(あひみ)(そろ)(がい)して彼等(かれら)宗敎上(しうけうじやう)(くわん)する特徴(とくちやう)は、無頓着(むとんぢやく)にありと()ふを()べく、彼等(かれら)禮拜(れいはい)標識(へうしき)(たい)しては、何等(なんら)崇敬(すうけい)(ねん)(いう)せず(そろ)拙者(せつしや)日本人(にほんじん)(たい)して、現今(げんこん)基督敎(きりすとけう)(おそ)るゝに()らざることを()き、最早該敎(もはやがいけう)(けん)切先(きつさき)にて宣傅(せんでん)せらるゝことなく、何等(なんら)異圖(いと)をも(いだ)くものにあらざることを會得(えとく)せしむる()めに、(もつと)(ちから)(つく)居候(をりそろ)此國傅道(このくにでんだう)將來(しやうらい)成功(せいかう)は一に(かゝ)つて、派遣(はけん)せらるゝ初代(しよだい)宣敎師(せんけうし)性行(せいかう)擧動(きよだう)(うへ)可有之(これあるべく)()其人物(そのじんぶつ)愼重堅忍(しんてうけんにん)()にして、()辨別自制(べんべつじせい)(ちから)ある人々(ひとびと)ならば、()(つひ)好結果(かうけつくわ)(せう)ぜんこと、拙者(せつしや)(うたが)はざる(ところ)(そろ)

貴問第(きもんだい)四、日本(にほん)冶者及人民(ぢしやおよびじんみん)基督敎(きりすとけう)(もつ)(ちか)づく最良方法(さいりやうはうはふ)如何(いかん)

(こたへ)()貴問中(きもんちゆう)(もつと)答辯(たうべん)(かた)箇條(かでう)(そろ)日本人(にほんじん)道理(だうり)(ふく)すること(いちじる)しき人民(じんみん)有之候得(これありさふらえ)ば、宣敎師等(せんけうしら)國語(こくご)學習(がくしふ)さへせば、容易(やうい)實際的議論(じつさいてきぎろん)(もつ)彼等(かれら)(ちか)つき()べく(そろ)()()如何(いか)なる程度(ていど)まで、印刷物(いんさつぶつ)公布(こうふ)するを(ゆる)さる()きかは、只今(たゞいま)(ところ)拙者(せつしや)(おい)明言致(めいげんいた)(がた)(そろ)拙者(せつしや)所見(しよけん)()れば、學校(がくかう)(おこ)英語(えいご)(をし)へ、又貧民(またひんみん)施療(せれう)する(ごと)きは、(もつと)傅道(でんだう)(ため)有益(いうえき)なる(はたら)きたるべく(そろ)

貴問第(きもんだい)五、日本人(にほんじん)冶者及人民中(ぢしやおよびじんみんちゆう)に、支那(しな)書籍(しよせき)(もち)ゐらるゝ程度如何(ていどいかん)

(こたへ)(すべ)ての貴族(きぞく)武士(ぶし)文人及醫師(ぶんじんおよびいし)大概漢籍(たいがいかんせき)()(そろ)

貴問第(きもんだい)六、出版(しゆつぱん)自由(じいう)如何(いかん)

(こたへ)日本(にほん)には(いま)新聞紙(しんぶんし)なるもの無之(これなく)(しか)して不穏當(ふをんたう)(みと)むるものは、政府(せいふ)其發行(そのはつかう)(ゆる)さゞるべく(そろ)書籍(しよせき)(はなは)饒多(ぎやうた)にして、且安價(かつあんか)有之(これあり)之等(これら)支那字(しなじ)假名文字(かなもじ)にて印刷(いんさつ)有之候(これありそろ)

貴問第(きもんだい)七、國民中(こくみんちゆう)文字(もんじ)()(もの)(すう)如何(いかん)

(こたへ)拙者(せつしや)()(ところ)によれば、()(かき)知識(ちしき)日本程(にほんほど)普及(ふきふ)せるは世界(せかい)何處(いづこ)にもなかるべく(そろ)

貴問第(きもんだい)八、日本帝國(にほんていこく)人口(じんこう)幾許(いくばく)ありや。

(こたへ)(いま)正確(せいかく)なる戸籍調査(こせきてうさ)無之(これなく)勿論(もちろん)(てい)(とき)(おい)て、或階級(あるかいきふ)人員(じんゐん)取調候得共(とりしらべそらえども)、一般人民(ぱんじんみん)(かず)へらるゝこと無之候(これなくそろ)。されど拙者(せつしや)有識(いうしき)なる人民(じんみん)(ならび)(もつと)其事(そのこと)(くは)しかるべき人々(ひとびと)より()たる見積(みつもり)は、三千萬乃至(ないし)五千萬(にん)有之候(これありそろ)。』


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