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立って歩くらくだ 主教 ステパノ 高地 敬
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先日おめでたい席で、ある先輩聖職がみんなに私のことを「アンガールズに似てる」と言っているので何のことかと思ったら、あのお笑いコンビの「アンガールズ」のことでした。ちょっとショックで、その先輩聖職のお連れ合いに「あんなこと初めて言われた」と言うと、「らくだが人間になったんだからいいじゃないですか」って、追い討ちをかけるように言われました。そんな問題ではないんやけどと思いつつ、うちに帰ってそのことを言うと、「あのきもかわいいとこと、ぎこちない動きが似てるんやろね」と、全然同情してくれませんでした。少なくとも髪の毛の量は全然似てないと思うのですが。
何がショックだったのか思い返せば、自分はあんなへなちょこだと思われたくないのに、人からすると、見るからにへなちょこなのだという真実を知ったということでしょう。(アンガールズさん、ごめんなさい。)それを自分では決して認めたくない。まだまだ修行が足りないなと思いました。ただその修行は、へなちょこから脱皮してきりりとするためではなくて、へなちょこに見えているという自分の真実を素直に認めるための修行です。
イエスさまは、あっさり捕まって十字架の上で死ぬというへなちょこな最後でした。(イエス様、ごめんなさい。)けれども、神様の子であるイエス様は、自分がへなちょこであることを隠そうとせず、「弱いへなちょこなことは、決して恥ずかしいことじゃないでしょ。だから、強いところや格好いいところを見せようとしなくてもいいんじゃないの」と教えてくださったのではないでしょうか。
私は人間になっても針の穴はまだ通れないようです。もっともっと小さくなって、人間として大きくならなければ。
(教区主教)
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